悦楽るーぷへお越し頂き誠に有難うございます。
今から今月の17日18日が楽しみなペケジローです。
まず17日にはネトフリにてアニメ終末のワルキューレが配信されるとです。
アダムの葉っぱはどうくっ付いてるんです?
なぜイヴさんのビジュアルはないのん?と気になる事が多々あり申す。
そして18日にはコミック最新11巻が発売となりましてな、終ワル尽くしの2日間なり。
さてそれでは47話の感想を述べていきたいと思います。
47話感想
前回は零福さんの強攻撃を釈迦さんが楯でガードしお前の思春期受け止めてやらぁと煽って終了にござった。
今回まず最初に目についたのは六道棍のスペックでしたね!
畜生道、人間道、修羅道、餓鬼道、地獄道、天道の六道を守護する観音様のパゥワーが、釈迦さんの感情と同期して発現するのが六道棍だそうな!
触れて良ものか否か迷いましたが…ヒルデさんが謎のスタイリッシュポーズを決めてやがらぁ!
あと目線がなんか3カメ見てます的な流し目なの?
謎の売れっ子感を醸しよってからに…変わっちまったよヒルデさんはよぉ
それでは零福さんの攻撃を防いだ修羅道の楯はいかなる感情で引き出されたものなのか?
熱すぎんだろ?お前の思春期…に続いた言葉に答えがありましたぜ
きゃっ!っとビビったらでる模様。
対する零福さんの斧爻は使い勝手が良さそうなり。
零福さんの思った通りというか都合の良い形状に変化するっぽいですね。
斧爻の変化は零福さんのIQに依存するものなので引き出しが多そうなのに対し、釈迦さんの六道棍は6種類。
釈迦さんは受け止めてやるとカッコよく言い切ったのは良いものの、ちょいと不安が残るような気が。
この零福さんの攻撃に対し、釈迦さんも早速六道棍をモードチェンジしました。
また一つ引き出しが減っていく…
ニルヴァーナきたこれ。
ここの釈迦さんなんか普段よりもましてカッコいいような?頭身のバランスによるもんじゃろか。
ここで、トゲトゲの棍棒に変化する感情てどんな感情?という疑問をゲルちゃんが発言。
やはりゲルちゃんの感性は読者に近しい…
それに対するヒルデさんの反応がこちらです。
なにものにも縛られず生きたいように生きる。釈迦さまこそ”史上最強の思春期”ですから
と、ここでいつもの釈迦さんの過去編に突入となりました。
なんてこった…あの長女、知ってる感出しただけでまんまと逃げきりよったで!
馬頭観音が出ちゃう感情はなんなのぉー!
しかし感情への関心は在りし日のゴータマ・シッダールタさんの姿によって吹っ飛んだでござる。
今と全く眼つきが違うじゃないですか…!
まるで空条承太郎レベルの仰天チェンジです。
釈迦さんも高校デビューしちゃったんか?
釈迦さんが悟りを開く一因となったのが親戚のジャータカ兄さんじゃった。
ビジュアルからして上位クラスの存在ですよジャータカ兄は…!
釈迦さんはジャータカ兄が幸せだと思っていたけれども、
ジャータカにとってのそれは全て他から与えられた幸福であって自分のものでは無く、
彼自身の願望は叶う事が無かった事を語られました。
自分の人生はいったい誰のものであったのか…というジャータカの呟きをその時はまだ強く意識しては居なかったかもしれませんが…
病を患い長くないと言っていたジャータカの、その葬儀へ悲しみを抱きつつ向かっていた時の事。
参列する者のジャータカへの評価が耳に入った時に転機が訪れちゃった。
この時やっとジャータカの言葉の深意を意識したのかも知れませんね。
俗物ペケジローの想像力で考えてみますとな、
世間的に幸福な状況に身を置かれたって、自分が幸福を感じられなかったら意味がねーじゃんYO!という結論に達したのでしょうかねぇ
釈迦さんは不意に馬上から地へ降り立ち、例のカ~ッカッカッという大笑いを始めたかと思うと…
天上天下唯我独尊のポーズ!
この時点で眼つきが今のものになってますねぇ
至ってしもた釈迦さんはここからが凄かった…
ジャータカ兄の葬儀が厳かに行われている場に花を蒔きまき乱入し、ジャータカ兄にはあんたらの祈りも神の祈りもいらないと発言。
そしてジャータカ兄の棺を幸福は裡にあると言い持ち去ってしまうのじゃった…
釈迦さんはジャータカ兄の「あの川はいったいどこに流れ着くのか?」「わたしは何一つ知らない」という呟きを覚えており、彼の願い、生前出来なかった事を叶えてやりたくて行動したんですねぇ。
自分が幸せだと思う事をする…
まぁ確かにこれを為した釈迦さん自身は満ち足りた気持ちになるでしょうが、今頃葬儀会場は大騒ぎじゃろうもん…
その後も凄かったですね。
苦行中に空腹で倒れた者があれば乳粥を与えようとし、
修行僧の偉い人が神聖な苦行中に喰っちゃいかんのじゃもん!とクレームを入れるとこうなります。
飢えた者の空腹を癒せたならば俺は幸せという考えじゃろか?
いやしかし…この僧は一時は救われるかも知れんけども、釈迦が去った後で偉い人に「お前…破門な?」とか言われちゃってるかも知れないですね。
そして悟りを開かんと釈迦の元に集まって来た僧が、座ってばっかで悟りとか開け無さそう…と言うと
あれですかね…挿入歌でうっせぇわ流れちゃいそうなくらいうっせぇ言いまくってます。
これもやはり信者がただの怠け者になる危険性を秘めた危うい面を持っているのではなかろうか…
それと徐々にあるサラリーマンの気配が増してきておるような気が。
さらにさらに、神への生贄を捧げんとする集団の元へ行き、生贄の少女を没収しちゃったりも。
当然、なにをするー!とクレームが入るのですがやはりいつもの
と、我らが良く知る釈迦さん像が完成していったのでありました。
なるほどこれは根っからの神嫌い。
でもやはりこの行動によって別の悲劇が生じる可能性もあるような気が。
少女が選ばれた事で難を逃れた別の子が生贄にされちゃうかも知れないし、少女の家族が難癖付けられちゃうかもですよねぇ。
お釈迦様の事だからきっとその辺も上手く立ち回ったのだと思っておけばよかろうと思います。
うむ、理屈は抜きにしてこのお釈迦様はカッコ良いです。
しかしここで釈迦さんぱねぇっす…!と真似しちゃいけん…。
オレ、至る。とかいってやりたい放題やったら現代では犯罪者扱いされてゲームオーバー待ったなしにございます。
なんとなくサラリーマン金太郎もお釈迦様に似たようなメンタル持ってそうな気がしましたが、知り合いに聞いてみたら勘違いだったようです。
金太郎さん、義理の娘と不倫してた野郎を「俺は不倫をするような野郎が大嫌いなんだ!」といいつつボコった翌週に自分が不倫してた事があるそうです。なんと立派な「お前が言うな」なのでしょう…天上天下唯我独尊の誤用、その好例かもしれませぬ。
と、いうわけで俗人がお釈迦様の真似をするとえらい目に遭うので気を付けましょうね~
僕も危うく上司っぽい生き物の脳天に強力粘着テープをブチかますところでしたが最終的に自分が社会的に抹殺される事に思い至り事なきを得ましたぜ…チキンで良かった。
恐らく釈迦さんは己のアクションに対するリアクションを受けて立つ覚悟や、他者自身の幸福の為の行動を許容する度量あってのやりたい放題だと思うんですよね!
だから前話らへんでおじいがお豆を一粒分けてちょーといった時にいっぱい食べなと分けてあげられるんですわきっと。
おじいは一粒わけて貰えたら幸せで、釈迦さんはそんなおじいにいっぱい食べさせてあげられたら幸せ
そんな幸福の相乗効果が描かれておったのがあの場面なのかなと思いましたわい。
対する零福さんは、不幸を吸い取ってやった人間のリアクションを受け入れられなかったということなんじゃろか。
ただ不幸を取り去るという行いは独善的な振る舞いだたのかも。
不幸の中に有るからこそ幸福の得難さを知る事が出来るのであれば、零福さんのした事は人間が幸福へ至る為の道標を取り去る結果となったのかもしれませんね~
故に釈迦さんは幸福は自分で至るものと言ったのでしょうか。
今話ではなんとお釈迦様も思春期と判明
この戦いはどちらの思春期がより強いのかって意味合いになっちゃうのかも。
釈迦さんは最後にとことん付き合ってやると零福に言いましたが、もしかして滅する気はないのでしょうかね?
この戦いを読み終えたら僕も至っちゃうかも知れないので、この先の展開はよく考えながら追って行かねばなりませんな!
6/2追記
今朝方通勤路をテクテク歩いていると道路に横たわる小さな猫の遺体が目に入ったのですが、そのあまりの小ささにちょいと気の毒に思ったペケジローは考えましたのよ
命を失う前に出会っておれば救ってやることができたじゃろかと。
しかし、同時にその考えを阻止するかの如くやむを得ぬ事情ってやつもつらつらと脳裏に浮かぶではありませんか。
家に先住犬もおるので難しかろうか…
子猫過ぎるので家で保護したところで手厚く面倒を見てやらねば助けられないかも。いやそんな時間的金銭的余裕も僕にはなかろうもん…
などなど。
そして唐突に 俺 至る 的な閃きがありましたぜ…
釈迦さんの「うるせぇ」ってのは、自らの裡に芽生えた幸福へのヴィジョン、それを阻まんとする諸事情に対するセリフなのでは?
「こうする事が出来たら幸せだな」と自らが確信を得ているならば、諸般の事情なんぞかなぐり捨てて実行するのが釈迦イズムって事なんだろなーって思いました。
実際に釈迦さんは地位も名声も捨てておりますし。
それでもって、釈迦さんの幸福には必ず相手の幸せが存在する気もしますよね。
むしろ相手の幸福の方が優先度が高めでは。
軽い性格なキャラと思ってましたが、今回のお話で実はしっかり聖人として描かれているように思えたのでお釈迦様への好感度が上がったでござる。
アニメ版の感想
1話ずつ更新されるのかと思いきや一気に13話配信という嬉しい誤算に大歓喜。
原作を可能な限り忠実にアニメ化しているようで視聴して違和感は皆無。声優陣によって登場人物に魂吹き込まれている分だけ長所が延ばされているように感じましたぞよ。
確信をもって言えるのはそうですね…アフロディテさんの出番は原作より増えてますわよね?
戦いをみた所感と共に一言二言呟きながらのお胸カットインが多々あり申す…イイネ!
その代償かわからんのですが、手ブラボーイズがまるで石像のように微動だにしないのは恐らく…あいつらがお胸動かしちゃったら映像的にアカン事になるからじゃろか。
支えてるだけならギリセーフという苦渋の決断なのかもしれねぇ。
そういえば1話でヒルデさんが神々を煽った時にとばっちりで鼻を捥がれたドラゴンちゃんはアニメでは無事でしたね。
よかった…理不尽な被害を受けたドラゴンはいなかったんや!
こちらも代償としてゼウス様の狂った感は損なわれてしまいましたけども。
このようになるべくストーリーを損なわずに各所からのクレームを回避するよう絶妙に調整されておる様子。
出来る事なら試合に夢中になり過ぎてご主人のお胸を顔面にブチかます所を映像で見たかった…だが贅沢は言ってられません。
人生には時として堪えねばならん事もあるのじゃ…アニメ化されただけでも御の字よ。
あ、そうそう、ワルキューレがヴェルンド化する描写も有って良かったですね。
ペカッと光って武器に変化していく過程は、漫画でやるとなるとコマの消費が半端なさそうですし。
上手に役割分担してますね。
漫画とアニメで世界観を補い合っているので視聴する事でこれまで自分の中に構築してあった世界観が増す仕組みになっておると思います。
しかし…ヒルデさんがかなりイケメン化し、アニメ版ではお顔がほぼ安定しておりますでなぁ…
さらにその声が脳裏に刻まれちゃった事でもう軽々しく弄れない気がしてきましたぜ。
イメージの改善大成功やないか…沢城ヴォイス恐るべし。
そしてヒルデさんよりアニメ化の恩恵を受けたと思われるのがゲルちゃんですね!
とても可愛く描かれておりますし原作より存在感が増しておるような。
他に気付いたのはイヴさんのお胸に増税が課せられたようで、オリジナルより減少されちゃった感ある事ですかね、キラッキラしてるのは変わりませんけども。
ともあれ、多少の変化はありつつも第三試合まで原作通りにお話が進んで楽しく視聴する事が出来ました。
13話にはちょいと驚きの変更が仕込まれておりましたけども!
第4試合直前の幕間がファッ!?ってなるくらい大胆に。
これまで裏切り者的にノーマークだった神がヒルデさんとコソコソお話をしておりました。
ワルキューレに情報タレこんでたのってこいつだったんかーい!とびっくりですね。
よくよく調べてみれば狡知に富み詐術に長けた計略の神と出て来て納得せざるを得ませんでしたが。
でも怪しいと思っていたロキさんだって狡知の神なわけですし…うーん、いったいどうなってるんでしょ。
そういえばロキさんって初登場時にはトールさんに化けて出て来てるんですよね。
なので今回もロキが化けていたという見方も出来ます。
だとしても化けられた側も狡知に富んだ神なので…どっちも怪しいですね!
場合によっては両方ともワルキューレに手を貸している可能性もあるんでしょか。
まさかアニメに先々への好奇心が刺激される仕組みが捻じ込まれておるとはおもわなんだぜ。
そしていざ第4試合開始ぃ!って所でひとまずの終了となっちゃいました。
終わり方の雰囲気からすると、今後どう転んでも平気そうな構成で閉じている気がしますのでねちょいと不安になっちゃいます。
是非とも続く試合をアニメで見たいもんですね。
11巻の表紙はガラの悪そうなお釈迦様でした。
kindle版ではさらに神々しい雰囲気を全力で出してるヒルデさんバージョンの表紙も有りましたよね…
随分変わっちまったよヒルデさんはよぉ…
コメント失礼します。
第6回戦もまた重いテーマになりそうですね。釈迦も零福も人々の幸福を願ったはずなのに、真逆の方に進んでしまった。幸福に至るというのは難しい話です。
コメント有難うございます!
いやほんと、幸福って難しいですね。
零福さんの場合は人の不幸を吸い取って、皆が幸福になる事を嬉びとして頑張っていたわけですが、この時零福さん自身が不幸になっていた事が根本的な原因と言えそうですね。
また、その幸福が長続きするかどうかも、それを与えてくれた人物の状態が関係しているように思えます。
零福さんの場合は不幸を吸えば吸う程にメンタルヘルスがヤバそうで近寄りがたい雰囲気になっていきましたが、そのせいで救われた者がああはなりたくないと考えたなら。
誰一人自分も他人の不幸を請け負ってやろう等とは思わないでしょう。
それ故に人は己の幸福のみを追求する有り様になって零福さんがなんじゃこりゃと驚く事になったのではないでしょうか。
それに対し釈迦イズムでは、相互いに幸福である為の行動に突き進むので…救われた者が、人を幸せにする事で幸せそうな釈迦の真似をし始め生き方が伝播していき、あのような大集団に成長。
集団の個人個人は相互いの幸福を考え行動する者なので、常に幸福を与え、与えてもらえる環境にある事で幸福の有難さを実感しつつ日々を生きる事が出来ると。
こうして考えてみると、第6試合の零福さんと釈迦さんに纏わるお話は気持ち悪い程に良く出来てる気がしちゃいます。
コメント失礼します。
よいよ、終末のワルキューレが来週よりネットで放送開始ですね。時期をずらして、TVでもやってくれるのか期待しています。
最新のPVが先日発表されていましたが、そのワンシーンにジャック・ザ・リッパーが登場した際、投げ捨てた仮面が割れるシーンがありました。
これは、発表はありませんが第一期は第4回戦までアニメ化するということなのでしょうか。
中途半端にジャックが出てきたところで第2期に続くというのもモヤモヤしますが。
早速視聴してますけども、
ヒルデさんがイケメン化してゲルちゃんが可愛くなっちゃってますね!